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熊本地方裁判所 平成5年(ワ)157号 判決 1996年11月25日

原告

村山エツコ

右訴訟代理人弁護士

吉井秀広

被告

医療法人潤心会

右代表者理事長

福本龍

右訴訟代理人弁護士

西田稔

西田靖子

右訴訟復代理人弁護士

曽里田和典

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金三四二八万七七九〇円及びこれに対する平成二年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件事案の要旨

本件は、平成二年二月一八日被告が開設する熊本セントラル病院(以下「被告病院」という。)の病室内で転倒して第一二胸椎圧迫骨折(以下「胸椎骨折」という。)の傷害を負った原告から被告に対する、原告使用のベッドの管理に関する注意義務違反又は右胸椎骨折に対する診断に関する注意義務違反による原告主張の損害についての不法行為に基づく賠償請求及び民法所定の遅延損害金請求事案である。

二  争いがない事実

1  原告は、昭和八年三月二五日生まれの女性であるが、平成二年二月一八日の朝食時、入院していた被告病院の病室内で転倒し(以下「本件事故」という。)、その結果、胸椎骨折の傷害を負った。

2  被告病院の内科医で原告の担当医であった浜田和裕医師(以下「浜田医師」という。)は、翌一九日原告を診察したが、原告のレントゲン写真から胸椎骨折を見落として診断できないまま原告に対する湿布処理を施した。

3  被告病院の整形外科医であった清永寛一郎医師(以下「清永医師」という。)は、同年三月一日、浜田医師の依頼により原告を診察し、原告のレントゲン写真を検討した結果、胸椎骨折を初めて診断した。

4  原告は、平成三年一二月二九日ころ被告病院から帰宅したが、その後同病院には戻らなかった。

三  争点

1  本件事故の態様とベッドの管理に関する被告の注意義務違反の有無

(原告の主張)

本件事故の態様は、原告がそのベッドの端に腰をおろして食事をしようと右ベッドの脇にあった床頭台の上から箸を取ったところ、右ベッドを固定するためのストッパーないし滑り止めの装置(以下「ストッパー」という。)がかけられていなかったために右ベッドが動き、そのあおりで右ベッドから床に滑り落ちて転倒したというものである。このことは、本件事故に関し、被告病院の看護日誌(甲五)の「食事を摂ろうとしてBEDから下りようとした時、ベッドがすべり、臂部打撲す、腰部かすり傷程度、腰痛強度」との記載(以下「看護日誌の記載」という。)からも明らかである。また、右ベッドの脇にあった床頭台と右ベッドとの間隔は原告の足が入る程度の距離であったが、右ベッドが動かない限り原告が右ベッドと床頭台との間に滑り落ちることはないのであるから、右ベッドのストッパーがかかっていなかったことは明らかである。

ところで、被告にはその開設する被告病院において使用するベッドを適切に管理すべき注意義務があるところ、本件事故は、被告がこの義務を懈怠し、ストッパーが機能していないことを放置したために発生したものである。したがって、被告は、原告に対し、右過失に基づき本件事故による胸椎骨折について損害賠償責任を負っていることになる。

(被告の主張)

本件事故の態様は、原告が朝食を摂ろうとして右ベッド脇の黒い丸椅子に腰掛けていた際に自ら誤って転倒したというものであり、本件事故当時右ベッドにはストッパーがかかっており、右ベッドが動いて原告が転倒したということはない。被告病院におけるベッドのストッパーは、患者をベッドごとレントゲン撮影に連れて行く等の例外的な場合にしかはずさないものであるところ、原告にはそのような事情もなかった上、仮に本件事故当時右ベッドのストッパーがかかっていなかったならば、本件事故より前に原告が右ベッドから下りて洗顔に行った際にも右ベッドは動いていたはずであるが、右ベッドが動いた形跡は全くなかった。したがって、本件事故の右のような態様からすると、被告には右ベッドの管理に関する注意義務違反はないから、被告は、原告に対し、本件事故による胸椎骨折について損害賠償責任を何ら負うものではない。

2  胸椎骨折診断の遅れと浜田医師及び清永医師の注意義務違反の有無

(原告の主張)

前記争いがない事実から明らかなとおり、浜田医師が本件事故の翌日に原告を診察した際、胸椎骨折を見落とした結果、平成二年三月一日の清永医師によって診断されるまで右診断が遅れたことは明らかである。そして、原告が浜田医師から受けた湿布処置等も胸椎骨折を念頭においての処置ではなく、安静方法も胸椎骨折を意識しての安静方法とも異なるものである。この結果、原告の症状は改善せず、身体全体がしびれるようになり、特に腰から下のしびれはひどいものであり、背中も痛く、一人でトイレにも行けない状態であった。また、平成二年三月一日の清永医師の診察により胸椎骨折が判明した後、原告がコルセットを着用したのは同月一五日であった。

このように、被告に使用されている浜田医師や清永医師には、本件事故による胸椎骨折について早期に診断して適切な治療を行うべき注意義務があるにもかかわらず、浜田医師において胸椎骨折を発見しなかった過失があるとともに、両医師において胸椎骨折を認識した上で行うべき適切な治療を怠った過失があり、被告は、両医師の使用者として原告の損害について賠償責任を負っている。

(被告の主張)

浜田医師は、平成二年二月一九日の時点で胸椎骨折を診断できなかったが、原告に対し、湿布処置、軟膏塗布、消炎鎮痛剤の処方等の症状緩和のための適切な治療を行った上で安静を指示し、本件事故から一一日後の同年三月一日には整形外科医である清永医師に受診させている。そして、胸椎骨折が確認された後の同月一二日には原告に対してコルセットによる固定が行われ、さらに同年五月二四日からは物理療法によるリハビリテーションが開始されているが、そもそも、骨折直後はコルセットの採寸を行わずに一週間から一〇日間安静にするのが通常であるから、骨折確認が約一〇日遅れたことにより骨折の治癒が遅れたということもなく、また、コルセットは採寸直後に即着用できるものではない。したがって、原告は、結果的には本件事故直後に胸椎骨折が判明した場合とほぼ同様の日程でコルセットを着用したことになり、原告主張のように、胸椎骨折の確認が一か月も遅れたということはないから、被告は、胸椎骨折に対する適切な治療を行ったものである。

3  原告の現在の症状等との因果関係の有無

(原告の主張)

原告は、本件事故の結果、現在腰痛や亀背という症状を惹起しているとともに、歩行困難の体幹機能障害を生じているが、このような症状等は、本件事故における被告の早期における診断と適切な治療により予防できたから、本件事故と右症状等との間に因果関係が認められるべきである。

これに対し、被告は、原告の右症状等は、いずれも原告の私病ないし既往症である骨粗鬆症及び胸腰椎多発性圧迫骨折に起因するものである旨主張する。しかし、原告は、本件事故当時骨粗鬆症といえるだけの特別な状態ではなかったのであり、仮に現在原告が骨粗鬆症の状態であるとしても、それは、本件事故の結果長期臥床を余儀なくされたためであり、しかも、その間被告病院において的確な骨粗鬆症対策をとらなかったためでもあるから、本件事故と原告の現在の症状等との因果関係を何ら否定するものではない。

(被告の主張)

原告は、現在も腰痛等を訴え、亀背、歩行困難の体幹機能障害の症状等を有しているが、これらの症状等は、原告の私病ないし既往症である骨粗鬆症及び骨粗鬆症による胸腰椎多発性圧迫骨折に起因するものであるから、本件事故と原告の現在の症状等との間に因果関係はない。すなわち、原告が現在訴えている腰痛等の痛みは、原告の骨粗鬆症と骨粗鬆症により現在進行している多発性圧迫骨折が原因であり、原告の亀背は、骨粗鬆症から生じたものであり、歩行困難の体幹機能障害は、骨粗鬆症及び胸腰椎多発性圧迫骨折によるものである。さらに、原告の骨粗鬆症は、本件事故当事既に慈恵医大式分類で一度の軽度の骨粗鬆症状態であったものであり、被告は、被告病院に入院中の原告に対して適切な治療を行っており、原告の骨粗鬆症の進行は止められていたのである。

4  原告の損害(請求総額三四二八万七七九〇円)の有無

(原告の主張)

(一) 治療費 一八九万三八七六円

(二) 入院雑費 八九万一八〇〇円

入院期間(平成二年二月一八日から平成四年一月四日まで六八六日)に一日当たり一三〇〇円を乗ずると、右のとおりとなる。

(三) 逸失利益 一五四八万五〇四三円

原告は、本件事故当時、五七歳で家事に従事していた者であり、六七歳までの一〇年間は稼働可能であるから、主婦としての賃金センサスによる年収二九〇万九〇〇〇円を基準とし、新ホフマン係数7.945を乗じ、さらに、本件事故により脊柱に著しい奇形、運動障害の後遺症を残したことによる労働能力喪失率0.67(第六級の五)を乗ずると、その逸失利益は右のとおりとなる。

(四) 慰謝料 一二九〇万円

入通院慰謝料(六八六日を約二二か月として)三四〇万円、後遺症慰謝料九五〇万円の合計である。

(五) 弁護士費用 三一一万七〇七一円

(被告の主張)

争う。特に、原告が治療費として主張する一八九万三八七六円は、平成二年一月九日から同四年一月四日までの期間の診療費に対応するものであり、本件転倒事故が同二年二月一八日であるから、それ以前の同年一月九日から同年二月一七日まで(四〇日分)の診療費相当額については、本件事故との間に因果関係はない。

第三  争点に対する判断

一  本件事故の態様とベッドの管理に関する被告の注意義務違反の有無について

1  原告は、その主張の本件事故の態様を基礎付ける証拠として、甲一(泉田ヤヨイ(以下「泉田」という。)名義の報告書)、五(看護日誌)、一五(泉田及び中田フミ子(以下「中田」という。)名義の書面)、証人泉田の証言及び原告本人の供述を援用する。そこで、以下これらの証拠価値を検討する。

(一) まず、甲一(証人泉田の証言により成立を認める。)の記載内容及び証人泉田の証言内容をみるに、これらの内容は、おおむね「本件事故当日の朝、原告に背を向ける状態で食事をしていたが、原告の方で音がしたのでそちらの方に振り返ると、原告のベッドの頭の方が東側の方に三〇センチメートルくらいずれており、ベッドの横で原告が横になっていた。原告が倒れたところを直接見てはいないので、原告が倒れた結果ベッドが動いたのか、ベッドが動いた結果原告が落ちたのかは分からない。その後、看護婦が二人来て原告をベッドに戻し、その時、看護婦の橋本がベッドのストッパーがかかっていなかったと言っていた。入院中、泉田のベッドのストッパーがかかっていなかったことはなかったし、他にベッドが動いた、という話は聞いてはいない。」というものである。そうすると、泉田は、本件事故の態様を直接目撃していたものではなく、本件事故後の原告及びベッドの状況などを目撃していたにすぎないから、この内容でもって本件事故の態様を原告主張のとおりに認めることはできないし、本件事故の態様を直接目撃したかのような甲一五(弁論の全趣旨により成立を認める。)の記載内容もすぐには信用できない。

(二) 次に、看護日誌の記載について検討する。この点に関し、証人橋本とちえ(以下「橋本」という。)は、おおむね「本件事故当日の朝、午前八時前後ころ、ナースコールを受けて荒川みどり看護婦と二人で原告の病室に行った時、原告は、床頭台の下にうずくまっていた。荒川に対して、ベッドが動いたのかと言った後、ベッドのストッパーを確認した。現在記憶が定かではないが、ストッパーはかかっていたと思う。その時、原告から食事を摂ろうとしてベッドから下りようとしたときベッドがすべり臀部を打撲したと訴えられたので、その旨看護日誌に記載した。被告病院では、レントゲンを撮るときなどのようにベッドごと動かすような患者でない限りベッドのストッパーをはずすことはないから、原告のベッドのストッパーをはずすということは考えられない。」と証言する。そうすると、看護日誌の記載からすぐに本件事故の態様を原告主張のとおりに認めることは相当でない。ところで、泉田及び原告は、橋本が本件事故直後病室に駆けつけたとき、ベッドのストッパーがかかっていなかったと言っていた旨証言及び供述する。しかし、後に説示するように、本件事故当時原告のベッドのストッパーはかかっていたと考えられることからすると、仮に橋本にそのような事実があったとしても、それは本件事故後のストッパーの状況ないし推測を述べたにすぎないものと考えられるので、そのことから本件事故の態様を原告主張のとおりに認めることはこれまた相当でない。

(三) そこで、本件事故の態様に関する原告本人の供述内容を検討するに、その内容は、おおむね「被告病院で、黒い丸椅子に座って食事をしたことはなく、また、丸椅子自体ベッドの側にはなかった。食事をするときはいつもベッドの側の床頭台に食事を置いてもらい、ベッドの端に座り、足をベッドと床頭台の間に入れて食事をしていた。床頭台とベッドとの間は足が入るくらいの幅がある。本件事故当日の朝、ベッドに座って食事をするために箸を取ろうとして箸を握った瞬間、ベッドが後ろに動き、後ろに倒れて臀部から下に落ちた。その時、壁や床頭台には触れなかった。ただ、背中をベッドの縁にこすりつけたので傷を負った。その後、橋本が一人で来て、ベッドのストッパーが止めてなかったから落ちたと言っていた。本件事故当日の朝、食事の前に洗顔に行ったが、その時ベッドは動かなかった。また、本件事故までに食事や洗顔に行くときを含めてベッドが動いたことはなかった。」というものである。この原告の本件事故の態様に関する供述に対し、原告と同病室にいた証人中田は、おおむね「原告は、本件事故当日の朝、食事の前にベッドを下りて洗面所に行ったが、このとき、原告のベッドは動かなかった。その後、朝食の準備ができるのを待っている間原告の様子を見ていたが、原告は、一度ベッドから下り、中田に背を向け黒い丸椅子に腰掛けてご飯を食べようとしていたところ、右椅子が滑ったか何かで斜め横の方に倒れ、倒れた後、ちょっと身体を曲げたようにして横を向いていた。看護婦二人が来て原告をベッドに乗せ、その後、ベッドの確認をしていた。原告は、食事のときは、いつもベッドを下りて床頭台のところの右椅子に腰掛けて食事をしていた。」と証言する。したがって、この原告本人の供述内容と中田の証言内容のいずれが信用できるか、が問題となるが、次に検討するように、原告本人の右供述内容には種々の問題点があるといわなければならない。すなわち、

(1) 第一に、甲五によれば原告は身長147.5センチメートル、体重38.5キログラムという小柄な女性であり、さらに原告本人の供述によれば原告は足を床につけていなかった状態でベッドの端に腰掛けていたというのであるから、このような状態において箸を取ろうと上体を動かしたとしても、これだけでベッドを動かすような力が加わるとは考え難いので、仮にベッドにストッパーがかかっていなかったとしても、ベッドが動くとは通常考えられない。したがって、原告が述べるように箸を取ろうとした動作で果たしてベッドが後ろに動いたのか、極めて疑問である。

(2) 第二に、仮に原告の供述するとおりだとすれば、原告が前傾姿勢をとったところでベッドが後ろに動いたことになるから、原告は前屈みになってベッドから落ちるのが慣性の法則からして当然の状態と思われるのに対し、原告が供述する臀部から落下したとの落下の状態はこれまた極めて不自然と言わなければならない。

(3) 第三に、原告本人の供述によると、原告はベッドと床頭台との間に足を入れていた状態でベッドから落下したのであり、しかもベッドと床頭台との間は足が入るくらいの幅しかないというのである。そうすると、原告は、当然落下時に床頭台に身体が接触し、その結果、右台上の朝食が散乱するのが通常と考えられるところ、原告は床頭台に触れなかった旨供述するばかりでなく、床頭台との接触によって生じるであろう原告の打撲傷や右台上の朝食の散乱も何ら認められないのである。したがって、この点の供述内容も極めて不自然である。これに反し、中田が証言するように、原告が丸椅子に座っていたときに斜め横の方に倒れたのであれば、床頭台に接触しなかったことや右打撲傷や朝食散乱の形跡がないことも十分に納得のいくところである。

(4) 第四に、原告が供述するように原告が臀部から落下したのであれば、落下直後原告はしりもちをついた状態にあるはずであるが、これを裏付ける証拠は落下直後にしりもちをついていたという原告本人の供述以外にはなく、かえって、泉田や中田は、ともに原告は落下直後横向きになっていた旨証言しており、この状態は、中田が証言するように原告が斜め横の方に倒れたとするほうが極めて自然と評することができるものである。

(5) 第五に、翻って本件事故前の原告のベッドのストッパーの状況を考えるに、今までに原告のベッドが動いたことがなかったばかりでなく、本件事故当日の朝、食事前に洗面に行った時原告のベッドは動かなかった旨の原告の供述からすると、仮に原告のベッドのストッパーがかかっていなかったとすれば、何故本件事故時のみに原告のベッドが動いたのか合理的な説明ができないことになる。このことに、被告病院では特別な場合でない限りベッドのストッパーをはずすことはない旨の橋本の証言や被告病院で今までにベッドが動いたという話を聞いたことはない旨の泉田の証言を総合すると、結局、本件事故当時原告のベッドのストッパーはかかっていたと考えるのが自然である。

これらの問題点からすると、原告の本件事故の態様に関する供述内容は極めて不自然で到底信用することができず、かえって、中田の本件事故に関する目撃証言は自然であり、十分信用できるといわなければならない。そうすると、本件事故の態様は、被告主張のとおりと認めるのが相当である。

2  以上のように、本件事故の態様に関する原告の主張は認められず、かえって被告主張のような態様で本件事故は発生したと認めるのが相当であるから、本件事故発生において被告には何らの過失もなかったことになり、ベッドの管理に関する被告の注意義務違反を理由とする原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

二  胸椎骨折診断の遅れと浜田医師及び清永医師の注意義務違反の有無及び原告の現在の症状等との因果関係の有無について

1  前記争いがない事実、証拠(甲二、三、五、一一、一二、一六ないし一八、乙三、四、一〇、一三、証人後藤昭維、同清永寛一郎、同川原康二、同浜田和裕)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 浜田医師は、本件事故の翌日である平成二年二月一九日、病棟の看護婦から原告が腰掛けていたベッドから滑り落ちるように落下して臀部を打った旨知らされて原告を診察した。その際、原告は腰の痛みを訴えていたが、歩行できるなど以前と余り変わりがなかったので、浜田医師は、レントゲン撮影をし、湿布剤や鎮痛剤などを処方して消炎鎮痛の処置をとるとともに、トイレ、食事、入浴以外はベッド上で安静にしているようにとの指示を出した。そして、入院患者がベッドから落下するときには大腿部頸部を骨折するケースが多かったので、浜田医師は、レントゲン写真ではその点を注意深く診たが、原告には軽度の背骨の変形(亀背)があったこともあって胸椎骨折には全く気付かなかったし、原告の足や腕の骨に異常がなかったので、その段階で整形外科医に診せることもしなかった。なお、右の時点で整形外科医が右原告のレントゲン写真を診れば、胸椎骨折は直ちに発見できるものであった。

(二) 清永医師は、平成二年三月一日、浜田医師から同年二月一八日に原告がベッドより転落して腰部痛があるが、湿布にて経過観察するも症状は改善しないという紹介により原告を診察した。その結果、清永医師は、胸椎骨折を発見したが、脊髄には損傷はなく、レントゲン上胸椎骨折による変形も進んでいなかった。その後、原告は、平成二年三月一二日、同月五日に採寸したコルセットを着用した。

(三) 胸椎骨折に対する一般的治療方法は、まず消痛消炎剤を与え、安静臥床させて経過を見た後、二、三か月のコルセット装着とこれに続く五、六か月の起立練習、歩行練習などのリハビリテーションである。また、コルセットを作るためには一定時間動かずに立てなければならないので、骨折から一週間か一〇日して症状が落ち着いたころに型どりを行うのが一般であり、さらに、コルセットを実際に装着できるには約一週間前後かかるのが普通である。

(四) 原告は、平成二年五月二三日、レントゲン上骨は大丈夫と診断され、翌二四日から原告に対する物理療法等によるリハビリテーションが開始した。そして、胸椎骨折は、同年一二月の段階では当初の骨折による変形も進行することなく骨癒合がされて完全に治癒しており、浜田医師の胸椎骨折の見落としにより右治療期間が長期化したことはなかった。

(五) 原告は、平成四年一月四日に被告病院から無断外泊による退院になった後、同年三月二五日に後藤整形外科医院を受診し、その際の診断は「陳臼性胸椎圧迫骨折後の背痛(骨粗鬆症を伴う)」というものであり、また、その骨折は右診察時の半年以上前に生じたもので既に変形治癒しているというものであった。そして、右陳臼性胸椎圧迫骨折後の背痛は骨粗鬆症を伴っていたものであり、原告の症状は骨粗鬆症の状態が全面に出ているということで、同医院の後藤昭維医師は、骨粗鬆症を主体とした治療である理学療法(温熱療法)とエルシトニンの注射を行い、原告は、同年八月ころまで同医院に通院していた。なお、原告の骨粗鬆症の程度は、本件事故当時既に慈恵医大方式で一度くらいのものであり、同医院に通院当時は慈恵医大方式で二度ないし三度であった。

(六) 原告は、平成四年四月一三日から菊池中央病院へ通院しているが、同病院での診断は「骨粗鬆症、胸椎圧迫骨折」というものであり、同病院の川原康二医師(以下「川原医師」という。)は、同年六月一八日、原告に対して原告の現在の症状は骨粗鬆症が原因である旨説明していた。

(七) 原告は、現在骨粗鬆症と胸腰椎多発圧迫骨折による歩行困難の体幹機能障害で三級の身体障害者手帳の交付を受けている。

(八) 一般的に、骨粗鬆症があれば圧迫骨折を起こしやすく、また、圧迫骨折による安静臥床から骨粗鬆症になる可能性があるものの、圧迫骨折から骨粗鬆症になることは直接的には認められていないし、一般的に圧迫骨折がない人に比べれば、圧迫骨折があった人は、亀背の確率は高いといえる。また、一般に骨粗鬆症があると小さな骨折が起こって亀背に進行することもあり、また、胸椎の圧迫骨折の結果亀背になることもある。

以上の事実が認められる。

2 この認定事実からすると、浜田医師が原告の胸椎骨折を見落としたため、結果的には右診断が遅れた事実は明らかといわなければならない。

ところで、医師としての注意義務違反の判断基準としては、当該医師の専門分野、具体的環境(当該医師が医療行為に携わっている場所が一般の開業医か総合病院か等)等諸般の事情を考慮して具体的に判断すべきであるが、本件において、浜田医師は、内科医ではあるものの、前記のように整形外科医に診療を委ねることができる具体的環境が整っていたのであり、また、整形外科医に診療を委ねれば原告の胸椎骨折は容易に発見できたのであるから、原告を診察するに際しては、少なくとも整形外科医の判断を仰ぐなどして原告の胸椎骨折を見落とさないようにすべき注意義務を有していたことになる。したがって、前期認定事実のように、浜田医師が胸椎骨折を見落としたまま漫然と一一日間治療を続けて右診断が遅れたことは、浜田医師に医師としての注意義務懈怠があったといわなければならない。

しかしながら、前記認定事実によれば、結果的には原告に対して平成二年二月一九日に胸椎骨折が診断された場合とほぼ同様の治療がなさねたものであり、しかも右胸椎骨折も平成二年一二月までには治癒していたというのであるから、浜田医師の右注意義務懈怠と現在の原告の症状との間に因果関係があるかどうかは、極めて疑問である。また、原告の現在の亀背が骨粗鬆症によるものか胸椎骨折によるものであるか、さらには、原告の現在の骨粗鬆症が胸椎骨折によるものであるかは、前記認定のとおりいずれも不明であってこれを認めるに足りる証拠は他にないから、結局、浜田医師の右注意義務懈怠と原告の現在の症状との間の因果関係については未だ立証不十分といわざるをえない。また、右注意義務懈怠によって慰謝料の給付を相当とするような精神的苦痛を原告が受けたことを認めるに足りる証拠もない(特に、原告は、被告病院に対し、平成二年一月から平成四年一月までの入院費一八九万三八七六円ばかりでなく、以前入院していた昭和六〇年六月から同六二年五月までの入院費一八六万八九〇四円をも現在未納であることが証拠(乙六、一二)及び弁論の全趣旨より認められるが、このような原告に右慰謝料を認めるのは正義及び衡平の観念に著しく反し、相当ではない。)。

以上のとおり、浜田医師の右注意義務懈怠を理由とする原告の請求もその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三  結論

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中山弘幸 裁判官小田幸生 裁判官伊東讓二)

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